受取請求書処理SaaSのプロダクトマネージャーとして、この1年以上プロダクトのインボイス制度対応を行ってきました。 請求書の受け取り、仕訳処理、支払処理などを行うB2BSaaSだったのですが、インボイス制度自体が非常に複雑で対応方法に非常に頭を悩まされてきました。
法制度自体が過度に複雑なため、業務もプロダクトの設計もユーザー体験も複雑にならざるを得ない点を感じました。 インボイス制度は増税観点で批判されることも多いのですが、業務自体の生産性やエンジニアの開発生産性にも影響を及ぼすと感じ、今回は法制度の複雑性に焦点を当てていきます。政治的な内容はあまり書くつもりはないのですが、昨今あまりに業務をおざなりにして法制度が作られることが気になるので課題意識を書いてみたいと思います。
インボイス制度とは
10月からインボイス制度が開始されます。この制度により、「請求書」に「適格請求書」という分類が追加されます。
消費税は、物やサービスの消費に関する税金で、企業は受け取った分から支払った分を減額して納付します。企業が支払った分だけ消費税を納付する税額が減少することを「仕入税額控除」と呼びます。
インボイス制度施行後は仕入税額控除を受ける条件に「適格請求書」が必要になります。「適格請求書」はライセンス性で、課税事業者でないと発行事業者になることができません。加えて、「適格請求書」はフォーマット条件が決められています。
インボイス制度による効果として、主な効果は消費税徴収額の向上です。これまでは売上1000万円以下の個人事業主は免税事業者として、取引先から消費税を受け取ることができたものの、受領分は免税事業者なので国に納める必要がなく、俗に「益税」と呼ばれていました。
インボイス制度は支払う消費税について、免税事業者からは仕入税額控除が受けられない、つまり肩代わりする法律です。国が得る効果としては免除されていた消費税分の徴収ができるようになります。なぜこのような複雑な法制度にしたかは分かりませんが、「単純に免税事業者をなくす」とすると反発が予想されたのかもしれません。
インボイス制度によって業務負担が増える
適格請求書を逐一確認する業務負担が増える
「仕入税額控除」を受けるために必要な適格請求書には以下のような国税庁の要件があります。
左が請求書、右が領収書です。要件が5~6個あり、これらを記載することが求められます。経費に使う領収書も請求書の一部とみなし、「簡易適格請求書」(領収書の適格請求書の呼び名)であるかの確認が都度必要になります。
仕入税額控除を受けるために、請求書の受取側は受け取った請求書をフォーマットに合っているか確認しなければいけません。加えて、請求書の取引先が本当に適格請求書発行事業者であるかの確認が必要です。記載要件である「登録番号」は国税庁のインボイス制度公表サイト から検索して有効な番号であるかを調べる必要があります。毎月何百枚、何千枚とくる請求書や領収書について上記の業務が発生することになります。
つまり、
- 受取った請求書をフォーマットに合っているか確認しなければいけない
- 請求書に記載されている適格請求書発行事業者番号が本人のものかを確認しなければいけない
- 請求書に記載されている適格請求書発行事業者番号が有効なものか確認しなければいけない
といったことが起きます。
適格請求書かを見て仕訳を修正する会計業務負担が増える
加えて、会計処理にも影響します。適格請求書でないものは「仕入税控除ができない仕訳」として個別会計処理を行わなければいけません。これも急に企業負担がふえるため、救済策として「経過措置」という項目があります。期間によって経過措置を受けられる割合が異なるため、仕訳記帳のパターンが増加します。
例えば会計ソフトの「freee会計」ではインボイス制度によって記帳パターンが3倍になることを示しています。会計ソフトを変えずにインボイス制度対応「freee経理」 より。
「特例」によって自販機の場所を帳簿に書くことが求められる
領収書も同様のことがおきますが、電車やバスなどでは通常領収書を受け取りません。 このように領収書を受け取ることが困難な場合には「帳簿のみ保存で良い」という特例があります。 自動販売機、古物商特例、公共交通機関特例など9つの特例条件が存在して、領収書を受け取ることが難しいため、適格請求書でなくても一定の要件を満たせば仕入税額控除が受けられます。
国税庁サイト より
しかしながら必要要件として、取引相手の所在地、年月日、取引内容などを記載する必要があり、画像の例のように例えば自動販売機の買い物の場合は「自動販売機の場所を帳簿に記帳すること」が求められます。個人としてはかなり無理のある運用を強いられているようには思っています。
プロダクト機能で解決するよりも、業務負荷が生まれないようなシンプルな法制度設計が本質
法制度対応という業務負荷ペインが増えると、より対応するべき内容がふえるのでベンダー的には追い風です。インボイス制度も軽減税率も、POSのシステム更新から基幹システム更新、プロダクトの改修などやることが増えるので売上増になります。なのでベンダーから否定意見は出づらい構造にあります。
しかしながら、インボイス制度対応に向き合ってきた1プロダクトマネージャーとしては、そもそも法制度対応がシンプルになれば対応しなくてよかったものもあったようにも感じます。
ただ税収が目的であれば、登録制度ではなく単純に免税事業者を無くす法制度なら複雑な対応は要らなかったのではないか、とは頭によぎっていました。(そもそも免税事業者撤廃への反対意見はありますが、今回は法制度の複雑性に焦点を絞ります)インボイス制度対応のために工数を割いてプロダクト設計をして、希少なエンジニアの労力を割いて対応していましたが、法対応にさく工数が少なければ他の機能開発ができたのではないかと思わずにはいられません。
B2BSaaSプロダクトは業務負荷ペインの解決が主なミッションですが、そもそも人工的なペインが生まれないことが一番良いと感じています。
まとめ-複雑な法制度は生産性へ影響する
複雑な法制度は業務の生産性を犠牲にします。インボイス制度対応で増加する事務・経理業務を見ましたが、これだけでも単純に業務負荷が増加します。
少し前で業務が複雑になった例は2019年の軽減税率導入です。飲食店は外で食べるなら8%、店内で食べるなら外食扱いで10%の消費税になるため「店内でお召し上がりですか」と聞いてその答えによって消費税を設定するというオペレーションが日本全国で生まれました。少しずつ生産性へ影響していると思います。
また、複雑な法制度はプロダクトのUXを犠牲にします。インボイス制度のためにほぼ全ての会計システムでは入力項目が増加しています。入力項目は少ない方が認知負荷を下げ、かつ業務の効率性も上げますが、仕訳画面という経理が毎日使うような画面の各行に入力項目が一つ追加されます。認知負荷がふえることで日本全体で考えると結構な生産性への影響があるのではないかと思います。
最後に、法制度を複雑にすることによって、希少なエンジニアのスキルが本来不要だった対応に費やされます。本来もっと日本の生産性を上げるための機能開発ができたはずの時間を法制度対応に費やしています。 適格請求書の要件をどのように記載するかは自由なため、AIで完全な判定も難しいと考えています。精度を上げるとしても機械学習モデル作成のための学習データ収集などが非常に重く、AIエンジニアの時間を大きく奪うことになります。
タイトルに戻りますが、法律の設計段階でシンプルにしなければ生産性に影響しうると感じます。それは業務の生産性もですし、システムの開発生産性も大きく影響します。税収向上だけが目標指数になってしまって、副作用として業務効率化や開発生産性の効率が下がることに目を向けない、そんなことが軽減税率のあたりからよく起きていないかと個人的に危機感を感じています。