SaaSベンチャーで働くエンタープライズ部長のブログ

SaaSベンチャーでエンジニア→プロダクトマネージャー→エンタープライズ部長として働いています。

ハードワークで人は成長するか

「成長するためにはハードワークは不可欠」。こういう言説は常に世に出ています。そして、それを信じた真面目な若者が「成長」するためにハードワークをこなすという流れ。知っているだけでも10年以上同じサイクルがあるように思います。

思いつくだけでも、サイバーエージェント創業者の藤田晋氏が著書「渋谷ではたらく社長の告白」で月に440時間働いていたという話や、テスラ創業者のイーロンマスク氏が世界を変えるためには最低でも週80時間は働くべきだと主張があったり、成功者がハードワークを乗り越えた話があります。

一方で自分自身の経験を振り返ると、必ずしも労働時間の長さが個人の成長につながったとは思えません。この認知の違いはどこからくるのか。自分自身の経験を振り返ってみたいと思います。

自分自身の労働時間経験

過去にいた企業では最大で月340時間、労働時間が少ない月でも240時間ほど働いていました。ハードワークが常態化しており、最大で40連勤ほどして、病欠なども土日出勤の代休で消えたので有給はほぼ使っていませんでした。現在、月の労働時間は180時間前後で、今のところ有給は全て使っています。

「ハードワークで人は成長する」仮説が正しいとすると、過去いた企業でもっとも成長し、現在はもっとも成長していないことになりますが、正しいのでしょうか。この仮説を検討してみたいと思います。

ハードワークだが成長しなかった経験

「ハードワークで人は成長する」の反証として「ハードワークだが成長していないと思う経験」について思い起こしてみます。

新卒で現場配属直後、インシデントの対応に携わった時のことです。ある導入済システムの改修プロジェクトで、パフォーマンスに関する問題を解決しなければなりませんでした。それは先輩と私だけのプロジェクトで、私に命じられたのは「検証環境でプログラムを動かし、ひたすらパフォーマンスモニタのキャプチャをすること」でした。当時新卒で私も何も分からず、トレーナーでもあったので指示に従いました。

先輩も解決策が分からず、私を帰らせるのも不安だったのでしょう。パフォーマンスモニタのキャプチャは12時間以上続き、朝6時頃まで行いました。キャプチャは800枚以上になっていたと思いますが、結局パフォーマンスモニタのキャプチャは使いませんでした。課題設定も方法も誤っていました。これは一例ですが、このプロジェクトでは翌朝まで打鍵をすることや、翌朝まで印刷をすることなどの指示が何度も続きました。一連のプロジェクトで私はハードに働きましたが、スキルが成長した実感はありませんでした。成長したと思えるスキルはキャプチャをずれずに取る力とマウス操作くらいではないでしょうか。

ワークライフバランスを保ち、成長した経験

過去プロダクトをゼロから立ち上げ、開発した経験は比較的ワークライフバランスを保ちながら自分の成長に紐づいたと感じます。技術選定やスクラム開発の立ち上げ、PMFを目指すのためのヒアリングと仮説検証などを行いました。

忙しいと思われがちな新規事業開発で意外にもワークライフバランスを保ちながら進みました。チームメンバーがいたということは大きいのですが、それ以上に必要なものから開発して顧客価値に紐づかない開発はスコープから落とすことで効率的に労働時間を抑えたことが効いていたと思います。

この経験では書籍などに書かれている知識をもとに実務経験に活かすことで、再現性を持てるような知識の活かし方をできるようになったと思います。不要な仕事をしないこと、作戦段階で必要な業務に絞ったために労働時間を抑えることができたと思います。

成長の定義を「今できないことをできるようになること」と考えるとしっくりいく

2つの仕事を例示しました。前者のプロジェクトはハードワークですが成長実感が得られず、後者はワークライフバランスを保ちながら成長実感が得られました。期間が異なるプロジェクトのためAppleToAppleで綺麗に比較できるものではありませんが、後者の経験は、例えどこかの1日を切り取ったとしてもパフォーマンスモニタのキャプチャに費やしていたよりも成長実感を得られるものだったと思います。

これは一体何が異なるのでしょうか。

「成長」の定義について、「今できないことをできるようになること」と考えてみます。朝までキャプチャを撮った件について、行ったことは

  1. パフォーマンスモニタを開くこと
  2. 手動でキャプチャを撮ること
  3. 撮ったキャプチャを保存すること

の3点くらいです。他にも朝まで印刷など、これらは「既にできること」のタスク実施にひたすらに時間を費やしました。

一方で、プロダクトの立ち上げを行なった件は、事業開発やプロダクト作りの仮説検証という当時「まだできなかったこと」の習得に時間を費やしました。労働時間は短かったものの、成長実感は強くあります。これは「できなかったことができるようになったから」ではないかと考えています。既にできることをひたすらこなしても成長は得られにくく、まだできないことの習得に時間をかける方が成長はするのだと思います。

「ハードワークで人は成長する」という言説について翻ります。朝まで手動でキャプチャを撮っていたら人は成長するわけではありません。あくまで「まだできないことをできるようになること」についてハードワークを試みるから成長するのだと思います。冒頭にあげた長時間働いて成果を上げた人たちは、自身ができなかったことの習得に時間を費やしていたのではないでしょうか。実際、ハードワーク例で出した「渋谷ではたらく社長の告白」を読むと営業活動もハードにこなしていましたが、毎日新規事業アイデアコンテストを行なって「既にできること」以外の挑戦をしていた時間も長かったようです。

認知を歪める点として「事業の成長」と「人の成長」の混同があります。「既にできること」であっても費やす時間を伸ばせば事業の成長に結びつくというケースはままあります。営業の訪問件数を2倍にして成約も2倍になるといった場合です。

ただ、「労働時間を長くする」というのは一番単純な解決策であって、持続可能性についても目を向けるべきです。過去、あまりに労働時間が長く、若くしてがんになってしまった同僚がいました。当然なのですが、労働時間による解決策は健康を犠牲にします。労働時間に比例して増えた成果は「事業の成長」であったとしても「人の成長」ではないことがあり、もしハードワークを人の成長として正当化する言説があるならそれは健全ではないのでしょう。

Howを変えることで成長機会に変えられることもある

とはいえ、新規事業開発のような業務に関わる経験はなかなか多くありませんし、組織の中で仕事をする上では任せられるまでに信頼を積み重ねる必要があります。日々のタスクの中でどのように成長機会を得るかの方が多くの人にとっては身近ではないでしょうか。

朝までキャプチャのような、短期間で大量のタスクをこなす類似経験でも少しだけ成長したと思える経験があります。新人時代、大量の設計書を翌週までに納品のために印刷とブックファイルに製本して収める仕事を命じられました。数人の新人と2年目社員がその仕事に割り当てられ、数百ファイル、2000ページほどの印刷と製本を行うことになりました。

最初のうち、同期たちはファイルを開いては印刷して製本していました。私はこれは終わりがない仕事だと感じ、別の方法を探しました。VBAとシェルをうまく活用すればファイルを開いて印刷し、プリンタを操作してホッチキス止めまで自動で行えることを発見したので、プログラムを書いて大量の印刷を自動化しました。試行錯誤を通じて、ページ設定や罫線のずれなども修正できるようにし、プログラム起動後、待っているだけで製本が出来上がるようにできました。

この経験で、業務の自動化提案とプログラミングスキルを少しだけ向上させました。おそらく、自動化せずに手動で全て印刷していれば、得られた成長は忍耐強さくらいだったでしょう。同じゴール(What)でもやり方(How)を変えることで「やったことないこと」に挑戦して成長機会にすることはできるのでしょう。

ただし、一方でこのような無茶な仕事の振り方は健康を害するため本来マネージャーが整理して渡す工夫をすべきですし、ハードワークの正当化に使われるべき議論ではないことを付け加えておきます。この件について、上申したものの却下されてしまったのですが、本来行うべきはWhatから変えてクライアントと直接交渉して電子納品にすることだと思います。

Howを変えられない環境は工夫の余地が少ない

Howを変えることで成長機会に変えられると言いましたが、「How」が固定される環境も多く存在します。自動化に馴染みのない職場では「プログラムで自動処理する」だけでも説得が必要だったりしますし了解が得られない場合もあります。また、「数時間後までにこなして」といった唐突に納期が降ってくる職場環境の場合、Howを工夫したり試行錯誤することができません。

  • 工夫のための時間を作り出すのか
  • 環境自体を移動するのか
  • 工夫をすることをやめるのか

の3択になるのだと思います。

まとめ

認知心理学では、類似の構造を持つ事象について理解の枠組みを作る「スキーマ」という概念があります。私は自分が知らない事象について理解の枠組みを作ることとしてこの概念をよく参照します。(厳密な定義に沿っているかは一旦おきます)

「やったことのないこと」に挑戦し、自身の考え方の枠組みに落とし込んで再現性を作ることは「スキーマ」の構築と言えるでしょう。それは「What」がやったことないことの場合もだし、「How」のやり方を再定義して「やったことない方法」に置き換えることも新たなスキーマの構築と言えると思います。成長というのは新たな認知スキーマの構築をしてスキルに習熟させることとも言い換えられるのだと思います。ハードワークをすることと、新たなスキーマを構築することはイコールではないのでしょう。

最後に、「成長」が人生の全てではないことを付け加えておきます。私の世代は成長をすることを強く求められました。成長を追い求めず、人生を謳歌すること、穏やかに暮らすことを人生の主目的におきたい人も多いし、むしろ多くの人がそうなのではないかと思います。やったことないことに挑戦することは面白みもありますが、心身のエネルギーも使います。既にできることの実行に時間を多く割いて、それ以外で人生を充実させるということも人生の主目的によっては有意義なのかもしれません。